2009年6月9日火曜日

ペナン島 タイ・マレーシア国境越え

週末旅行から戻りました。

概要
3泊4日 週末旅行(金夜ー月朝) ペナン島と タイ・マレーシア国境越え

一言
主たる目的地であったペナン島は、もう少し活気のあるところが好きな私にはやや物足りなかったが、週末のんびりするにはいい所だろう。先進国からリタイヤしてここに移住する人も増えているようだ。直接マレーシア北部に飛ばず、タイ南部から陸路国境を往復したのは、軽率だったかもしれない。ここしばらくタイ南部で大きなテロのニュースは聞かなかったが、決して安全になったというわけではなく、現に6/9には私が今回行ったナラシワット県でテロが発生し10名以上が亡くなっている。

ルート 
タイ NRT-BKK-NAW (Narathiwat) 空路
NAW-KBR タイ(SungaiKolok)・マレーシア東国境経由 陸路
マレーシア KotaBharuコタバル(KBR)-Penangペナン(PEN) KUL経由空路
PEN-HDY マレーシア西・タイ国境経由 陸路
タイ HDY-BKK-NRT 空路
Penang Jun09

訪問地
1 BKK 乗継 宿泊のみ
2 Narathiwat ナラシワット
3 KotaBharu コタバル
4 KUL 乗継 宿泊のみ
5 Penang ペナン
6 HatYai ハジャイ

宿泊地 
BKK, KUL, 機内 一泊ずつ 

1 BKK
スワナンンプーム空港 高速鉄道が町中まで開通するのが8月ということだが、開通後はかなり使い勝手が良い空港になりそうだ。
タクシードライバーによるとBKKのイスラム地区ということで、朝空港に行くまでに高速道路からいくつものモスクが見えた。仏教徒が圧倒的に多く僧役まであるタイ=仏教国のイメージが強いので意外だった。

2 Narathiwat ナラシワット
* 人々
タイの最南県。空港ロビーはムスリム装束の人たちでいっぱい。 全身黒装束で目だけ出している女性が一人いたが、そこまで極端な人はほとんど見なかった。
20世紀初頭にタイに併合される前はマレーシア領だったため、人々はマレー語の一種Yawi語を話す。http://www.tourismthailand.org/destination-guide/narathiwat-96-1-1.html もっとも、移住者が多いせいか、タイ語も良く聞こえてきた。川沿い、町随一の高級レストランでは、料理2品とチャーハンでわずか200B(700円)。モスクからアザーン(お祈りの呼びかけ)が聞こえてきた。

* 鳥の鳴き声コンテスト
英語を話す空港のInfoの女の子に通訳してもらい、ミニバンの運転手に漁村で下ろしてもらうように頼む。静かな漁村を想起していたのに、何かのイベントが行われているようですごい人だかり。たくさんの男達が取り囲むグラウンドの中には、無数の鳥かごが吊り下げられていた。観客は籠の中の鳥に向かって、何かけしかけている。笛の音が鳴り響くと審判員がペンを持ってチェックを入れていく。賭け事かと思ったが、鳥の鳴き声コンテストだということ。テントの中には、賞品と思われる冷蔵庫や扇風機がたくさん。帰国後NET検索したら、Narathiwat特有のイベントではなく、タイ全土で見られるようだ。http://iyasaaca.exblog.jp/tags/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E9%B3%B4%E3%81%8D%E5%A3%B0%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88/ 周辺には屋台も出ていたが客はおらず。きっと盛り上がるのはコンテストが終了した夕方以降なのだろう。コンテストの最中ということもあり、町まで行く交通手段がなく、警察官に相談すると、その辺にいたバイクの青年に言って送ってくれるよう頼んでくれた。タイ語が全く話せない私。青年にはTownという英語すら通じなかったが、Kota(マレー語)が通じた。 

* タイ南東部の治安
通りすがっただけとはいえ、危険な目にはあわなかったし、危険そうな感じも全くなかった。ナラシワットはのんびりした田舎町。空港には軍人・警官がいたし、町までに検問は4度あったが、声をかけられることも停車を命じられることもなかった。タイ南部のテロは、イスラム教・仏教の対立という側面がクローズアップされがちだが、仏教徒も普通に暮らしているように見えた。幸い外国人を狙った誘拐・殺害事件はあまり聞かない。
ナラシワット県で起きたという今日のテロのニュースも怪しい。イスラム教徒過激派のせいだと政府報道官は言うが、彼らがモスクを攻撃して同胞であるイスラム教徒を殺害するというのは非論理的。仮に本当にイスラム教徒のテロだとしたら、政府機関・警察官・仏教寺院・イベント会場等を狙うはず。何かがおかしい。誰かが作為的に治安をかく乱させている?タイ南部の渡航はしばらく回避するのが無難だろうが、私が見た素朴な町と報道の落差に釈然としないものが残った。

【6月9日 AFP】イスラム教徒が多いタイ南部ナラーティワート(Narathiwat)県Cho-i-Rong地区のモスクで8日、武装勢力と思われる男たちが銃を乱射し、11人が死亡した。 このほかに12人が負傷した。匿名の地元警察関係者は犯人は5人ほどでモスクの裏口から侵入し、約50人の信者を無差別に銃撃したという。一方、タイ陸軍の報道官は、犯人は2人で、それぞれモスクの正面入口と裏口から侵入したと話している。 タイ当局は同国南部で発生する襲撃事件のほとんどが独立を求めるイスラム教分離主義者の犯行だとしている。(c)AFPhttp://www.afpbb.com/article/war-unrest/2609984/4245779

* タイ-マレーシア東 国境越え
タイ最南部、ナラシワット県。タイ→タイ語→仏教徒、マレーシア→マレー語→イスラム教徒、の図式はここでは成り立たない。20世紀初頭にタイに併合される前はこのあたりはマレーシア領だったため、人々はマレー語の一種Yawi語を話す。人口の90%以上はムスリムのこのあたりでは、女性はスカーフを被り足や腕を覆った服を着て、男性は腰巻をまといムスリム帽子を被っている比率が高い。

今回の週末旅行、国境越えはナラシワットの町から始まる。

マレーシア行きのバスはどこだろうか。立ち寄った商店のおばさんは英語を解しなかったが、奥から出てきた青年(中国系)は上手な英語を話した。マレーシア国境へは病院の裏にあるバスターミナルからSungaiKolok行きのバスに乗れという。

青年は道脇に立ち、バイクタクシーを捕まえてくれようとするが、昼時だからかなかなか通らない。するとタイミングよく出てきた隣の店のおじさんがバイクを持っているようで、青年がおじさんに私をバスターミナルまで送ってくれるよう頼んでくれた。

おじさんのバイクの後ろに乗って7-8分。到着したターミナルには、大きなバスが2台とミニバンが数台とまっていた。それぞれのミニバンの前には机が置いてあり、切符売りがゆるい感じで座っている。SungaiKolok行きのチケットを売っているおやじは、タイ人とは思えないほど濃い顔をしている。国境を感じる。

km:(国境までのバス運賃は)ハウマッチ?

おやじ:ワン・ツー・スリー・・・・

km:????

おやじ:(苦笑して)ガハハハ・・・ 

スリー以上の数字を表す英語は忘れてしまったようだ。
バイクのおじさんが後ろから助け舟を出すように、私のペンを手に取ると、自らの手のひらに書いて私に示した。「70」
70バーツ、230円だ。

バイクで送ってくれたおじさんに対して、ムスリムがよくやるスタイルで右手を自分の胸に当ててお礼をすると、おじさんはあわてたように手を横に振った。ムスリムではなくて仏教徒だという。

吊り下げられた籠に入った鳥や、コーラ瓶の蓋を持ち駒にしてゲームに興じる人を眺めていると、団子鼻の典型的タイ人顔のドライバーが、出発するぞ、と呼びに来た。12人くらい乗れるトヨタのバンには、私のほかには、おばさんが一人しか乗っていない。これは赤字路線か?

出発、と思いきや、バンは町の中をぐるぐる回って町を出ようとしない。クラクションを「プ」と鳴らして合図すると、家の中から乗客が出てきて、バンに乗り込む。事前に連絡している乗客の家までピックアップしに回るのだ。ラオスなんかでも同じシステムだった。運転手とはみんな顔見知りなのだろうか、和やかな雰囲気。乗客が8人になったところで今度こそ出発だ。

90年代のカンボジアやラオスみたいに赤土の未舗装の道がどこまでも続いているかな、だといいな、とひそかに期待していたのだが、予想に反して国境へ続く舗装は完璧だった。検問は何箇所かあったが、IDを提示したり検査されたりということはなかった。

心地よい揺れに誘われうとうとする私。するとまもなくバンは国境に到着。拍子抜けするほどズムーズであっけない。客ピックアップのため回っていた時間を除けば約1時間の旅だった。

両替所のようなカウンターで出国手続きをする。PCに接続されたWebカメラを見ろといわれて膝を曲げて小さな窓口を覗き込む。テロリスト対策だろうか、外国人出入国者の写真を撮影するのだ。2分で完了。

タイのイミグレ職員に別れを告げて、マレー側のイミグレへ一人徒歩で向かう。国境にはコンクリートの橋がかかり、左手には川と列車のレールが見える。

橋の上は緩衝地帯。タイ・マレーシアどちらの役人・軍人・警官もいない。そんな橋の中間線、つまりタイ・マレーシアの丁度中間にいたのは、上半身裸の乞食が一人。こんな風景は、今まで越えてきた200近い国境で一度も見たことがない。

乞食を見たら条件反射的に足早に通り過ぎようとする私に対して、男は満面の笑顔でプラスチックのコップを差し出してきた。とたん、無事国境越えし新しい国へ向かう私は、なんだかとても晴れやかな気持ちになる。気持ちの良い笑顔につられて、ケチな私でも、小銭をあげてもいいかなという気になるのだ。乞食の思う壺だ。悲壮感を漂わせたり、しつこく要求するのではなく、笑顔でおねだり、というのはいい作戦かもしれない。

考えて見ると、タイからマレーシアに渡る人は余ったタイバーツを、逆方向の人は余ったマレーリンギットを持っていて、処分してもいいと思っているだろうから、乞食にとってはかなりおいしい場所(ベストポジション)。でも、ベストポジションなら乞食がたくさん並んでいてもよいはずなのに、この人が一人でベストポジションを独占しているのは、何か裏でもあるのだろうか。

仮説:
1)本来乞食が入ってきてはいけない場所なのだが、この人は、タイ・マレーシア両方の役人に、賄賂を払って場所を特別に確保しているとか。(癒着説)
2)それとも日替わり・時間決めで違う乞食が座っているのだろうか。同時に5人で並んで競争していたら一人当たりの喜捨受取額は5分の1になってしまうかもしれないから、毎日または時間ごとに交代しながら一人に座らせておく方が効率的だろう。(ワークシェアリング説)
3)それとも、ずらりとならんだ乞食が両国のイメージを損ねるから全員排除したかった当局と、既得権益を守りたい乞食組合のぎりぎりの折衝の結果、毎日一人だけ座るという妥協案が成立したのだろうか。(妥協説)
真相は不明だが、いずれにしても興味深いところ。

マレーシア側のイミグレはしっかりした建物の中。午後だからか、入国しようとしている人は私一人で、並んでいる人はいない。入国カードを記入して、ブースの中のスカーフを被った女性係員に渡す。係員は、食事中だったにもかかわらず、発泡スチロールの弁当を押しのけて、私のパスポートとカードを受け取ると、直ちにPCに入力してくれた。テリマカシ(ありがとう)。

イミグレを抜けると、屋根のある歩道のベンチの上に胡坐をかいた青年が一人声をかけてきた。タクシーの手配師か。

青年:マウク・マナ?(どこいくんだ?)
km:マウク・コタバル。バス、マナ?(コタバルだよ。バスはどこ?)
青年:まっすぐだ。
あれ、タクシーの手配師にしては商売っ気がないな。単に親切な人だったのか。
急いでいるのでこちらから聞いてみる。
km:タクシー、プラバ ハルガニャ? タクシーはいくら?
青年:40リンギット

え?50kmくらいあるのに、1200円足らず。さすが産油国マレーシア。物価安のタイと比べて破格だ。だったらバスはやめてタクシーで行こう。
でもマレーシア・リンギットは手元にないし、両替商も見当たらない。タイバーツで良いか聞くと、400Bでよいことになった。

国境越えて視覚的に激変するのが文字。読めないタイ文字とちがって、アルファベット表記のマレー語の看板はそれだけで安心。

おんぼろタクシーのおじいちゃん運転手は英語片言。左側を指して「マスジット(モスク)だ」という。カラフルな瓦屋根は中国風。新築したばかりなのだろう。村自慢のモスクのようだ。他には何もないような辺鄙な国境の村に、不似合いな立派な建物。一点豪華主義という言葉が頭に浮かんだ。

50kmの距離であれば、一時間もあればつくだろう。ほっと一息ついて、時計を一時間進めマレー時間に合わせた。その後大渋滞にはまるとは、このとき予想せず・・・・続。 

3 KotaBharu コタバル
* 太平洋戦争 ここにはじまる
太平洋戦争最初の攻撃地となったこの地。ぜひ戦争博物館や戦跡を見たいと思ったが、町についた頃はすでに博物館等は終わっていた。
そもそもなぜ、コタバルを攻撃したのだろう。Wikiによると「大東亜戦争開戦時における日本軍の戦略目標はオランダ領東インド(現インドネシア)の資源地帯の占領であったが、そこに至るには手前に立ちはだかるシンガポールを攻略する必要があった。」ということ。

4 KL
・LCCTターミナルは遠い
AirAsiaを初め格安航空はKL国際空港のLCCターミナルから離発着する。ところがこれがメインターミナルから遠いのだ。シャトルバスはなかなか来なくて、タクシーで移動すると49RM(1500円)。Sentalまで直通のバスは8RM、1時間。
・Sentral駅は近未来的なのに、すぐそばのインド人街は深夜まで喧騒に満ち溢れる。この町が好きだ。

5 Penang ペナン
ガイドブックにあったレンタル自転車店がなくなってた。トライショーで回る。ベトナムのシクロ同様、乗客が前、自転車こぎは後ろ。造花とカラフルな日傘が付く。1h30RM 3時間半で90RM 今年80歳だという中国系のおじいちゃんがこぐスローなトライショー。後ろから車のクラクション鳴らされてもマイペース。怖いのは、車の流れに逆らって進んでいくとき。満面の笑顔と片言の英語で寺の中まで付いてきて一つ一つ案内してくれる。例えば、タイ寺では12支それぞれの仏様が置かれているのだが、「Cow」だとか「Snake」だとか指差しながらぐるっと回ってくれるのだ。きっと何十年もこれを繰り返しているのだろうか。
シンガポールが自由貿易港として開かれるまでの一時期、西方と東南アジアの交易中心地にもなったペナン。私は英領になってからクーリー苦力としてやってきた中国人が原住民の祖先なのかと思っていた。ところが、孔子廟の1Fにあった博物館の展示を見ると、Teochu潮州人の入植は16世紀から始まっていたようだ。中国人の殖民の歴史はずいぶん長いのだ。中国人が出身地ごとに会館を作っているのはマレーシア・インドネシアの町どこでも見られるが、この島では聞いたこともない地域が独自に会館を立てて維持しているのが驚き。・・・
ひなびた木造建築の背後に見えるコムタという高層ビルが印象的。ミャンマー寺・タイ寺・中国寺各種・ヒンズー寺院・モスク各種・多民族多文化の島はそれだけで面白い。ミャンマー移民が多いのは、英領ビルマ時代に労働者としてやってきた子孫?それとも政治的自由を求めてアンダマン海を越えて亡命してきたため?
モスクもアチェ(スマトラ北部)モスク・インドモスク・パキスタンモスクなど色々あったが、ペナンが英領下で入植を奨励していた時期にはパキスタンは独立していなかったはずで、なぜそのようなアイデンティティが構築されているのか不思議。パキスタンがインドから分離した後の移民なら理解できるが、パキスタンからわざわざペナンに来た理由は何なのか。経済的成功を夢見て?
シーク教寺に行きそびれたのが残念。

バターワースまでフェリー(無料)、そこからタイ人の買出しツアーバスでハジャイへ。
続。

6 HatYai ハジャイ
ムスリム色は予想外に薄かった。町の中心部ではモスクも見ない。中国寺はあるのに。一見普通のタイの地方都市と変わらない感じ。

他:
・JL 
行き、ビジネスクラスにアップグレードしてくれた。ラッキー。AAのゴールド会員だから?
・ボディチェック
帰国時、成田税関でボディチェックされる。 確かに、週末旅行で、タイ・マレーシア国境往復は、何かの運び屋みたいに怪しいかも。
税関でボディチェックを受けたのは日本では始めて。世界でも、ベネズエラ(コロンビアから麻薬が運び込まれる地帯なので。全裸にされて)、UAE(職員に逆らったので)、アイスランド(手ぶらでいったので)くらい。

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