2009年4月1日水曜日

賄賂要求されたらどうする? その2

昨日書いた「賄賂要求されたらどうする?」に関連するエピソードと、いただいた質問への答えを追加しておきます。

*ギニア 難民バスに揺られて

98年、ギニアの首都コナクリでは、「Thank you, Thank you, ECOMOG・・・」(タイトル不明)という歌がはやっていました。仏語圏ギニアで英語の歌がなぜはやったかというというと亡命シェラレオネ人達がたくさん住んでいたからです。ECOMOGというのは、西アフリカの国々が合同で設立した軍事部門で、ECOMOGの介入が、長く続いていたシェラレオネ内戦を終わらせることに成功したとして賞賛を浴びていました。実際には、その数ヵ月後すぐに内戦は再開してしまうのですが・・・。

私は、「もう安全になったから訪問しても大丈夫」というシェラレオネ難民の誘いを受けて、彼らとともにギニアからシエラレオネに行ってみることにしました。帰還難民でいっぱいのバスの中は、長い亡命生活を終えやっと故郷に帰れる人々の歓喜と希望に満ちており、私が体験したことのない高揚感に包まれていました。ものすごい量の荷物を屋根に積んだおんぼろバスはようやく国境に近づきました。あともう少しでシェラレオネです。

国境付近は約500メートル毎にECOMOG, ギニア警察、UN、他諸機関の検問テントが並んでいました。本来それら機関の任務は、停戦を維持するため、残留ゲリラ兵・戦犯を発見したり、武器の持ち込みを防止することだと思われますが、検問所は賄賂地獄と化しており、まさに500mおきに金品をたかられました。
中でもECOMOG(ナイジェリア兵が中心)とギニア警察の検問はたちが悪く、高圧的な態度で臨んできました。

「デ・ジ・タ・ル・カ・メ・ラ? 何だそれは。没収だ。」とか。
「お前、本当はジャーナリストだろう?そうに決まっている。取材許可証はどこだ。ないなら帰れ。100ドル払えば目をつぶってやる」とか。
「コレラのワクチンを打っていないじゃないか。200ドル払え、さもなければ、コナクリに戻れ」とか。

ところで、コレラのワクチンは効き目がないので、WHOが摂取推薦リストから除去しており、ほとんど実施されていないのです。仮に私がコレラのワクチンを打っていても別の口実を使ってきたことでしょう。大体、入国者のワクチン接種を確認するならともかく、これから出国しようとする者のワクチン接種を確認することにどんな意味があるのでしょうか。結局私が支払ったのは一箇所で20ドル、もう一箇所で10ドル相当で済みましたが、賄賂要求の波状攻撃にほとほと疲れました。
テント村の軍人達は、外国人である私のみならず、バスの乗客全員を下ろし、荷物を紐解かせ、難民一人一人に対しても金品を要求していました。私たちは、バスの窓からテントが見えてくるたびびくびくしながら何のテントか確認しました。UN関連のテントだと、賄賂の要求はないので、一同安心したのを覚えています。
朝10時にコナクリを出発して、検問を通過しながら国境に着いたのは夕方5時になっていました。道も悪かったし、エンジントラブルがあったとはいえ、100kmの距離に約7時間もかかったのは検問のためです。

* ギニアーシェラレオネ国境 2005
2005年に、全く同じ道でコナクリからフリータウンまで移動しましたが、98年に見たテント村は幻のように消えていました。コナクリから国境まではタクシーをチャーターしたこともあり、2時間足らずで国境に到着しました。何箇所もの机でノートに自分の名前を書く旧態依然とした入管手続きを終え、シェラレオネに入国。ミニバスに乗りました。フリータウンへ続く道路は、内戦などなかったように、綺麗に舗装されていました。外国や国際機関の援助あってこその復興だとは思いますが、廃墟だらけでぼこぼこの道しかなかったシェラレオネの復興を目の当たりにして、熱いものがこみ上げてきました。
ギニアは、先月(2009.2)クーデターにより、政権が崩壊しました。シェラレオネ難民・リベリア難民でいっぱいだったギニアですが、ギニアが混迷を深めれば、今度はギニアの難民がシェラレオネやリベリアに亡命しなければならないかもしれません。98年に見たような検問テントが復活するのでしょうか。


* 腐敗というのは酷かも・・・

コンゴ民主、キンシャサの町をいろいろ案内してくれたTは、運転していた車の窓から、交通整理をしている警察官に小銭を渡しました。何も要求されていないし、嫌がらせを受けそうな雰囲気ではないのに、何故そんなことをするのだろう。聞くと、「警察官は給料もほとんどもらえずかわいそうだからあげるのだ」という。コンゴは、首都中心部以外は道路は全く整備されておらず、道路標識すらないような国。警察官や軍人への給与も微々たるもので支払いの遅延や不払いも多いということ。

確かに、給料もほとんどもらえないのに、炎天下で交通整理している警察官に、「ご苦労様」の気持ちが生まれてくるのも理解できるように思いました。
そして、警察官だって生活がかかっているのだから、金を稼ぐ必要がある。公務を遂行しているのに政府が払ってくれないのなら民衆から、という心情も全く理解できないわけではありません。

先進国にはない、給料をもらえない公務員の状況をわきまえずに、「賄賂=腐敗=悪」と言い切ってしまうのも、ちょっと酷なのかもしれません。

* 賄賂肯定派になってしまいそう・・・
パキスタンの警察官の月給は3000ルピーだそうです。http://www2u.biglobe.ne.jp/~AKICHAN/afgnst.htm 現在のレートで約3500円。一日あたり100円です。
今日のニュースに代表されるように、常にテロの対象とされ命かけて仕事していて、それで一日100円。子沢山のパキスタン人、これじゃ、賄賂でももらわないと生活していけないよ・・・。現地の警察から何かくれといわれたとき、むげに断らずタバコくらいあげればよかった、と今になって思いました。もうちょっと臨機応変に対応しても良いかもしれません。
パキスタン:武装集団立てこもり 15人死亡95人負傷
パキスタン東部ラホールの警察訓練所に30日朝、自動小銃と手投げ弾で武装した集団が押し入り、訓練生ら数百人を人質に立てこもった。警官の制服に着替えて武器庫から銃などを奪い、警官隊と交戦。治安部隊が突入し、事件発生から約7時間半後に制圧した。交戦中、実行犯のうち3人が自爆、3人が逮捕され、数人が警官に紛れて逃走したとみられる。治安当局によると、死者は大半が訓練生で15人、負傷者は95人に上った。毎日新聞 2009年3月30日 http://mainichi.jp/select/world/asia/news/20090331k0000m030065000c.html

* 他の旅行者は賄賂の要求に対してどう応対しているか

質問をいただいたので、追記しておきます。

私も興味あるテーマですが、一般化して答えられるほどデータがないというのが実際です。
アフリカでも、観光で旅行者がやってくるのはたいてい北・南・東アフリカです。一方賄賂地獄は、西部・中部アフリカです。そのため、賄賂にどう対処したかという話題のサンプルが少なすぎて一般化できません。
西部・中部では、バックパッカーが集まるような宿はほとんどなく、他の旅行者に会う機会も非常に限られてきます。この地域で私が遭遇した日本人旅行者は、おそらく3人だけです。2003年にナイジェリア(カノ)で会った人は、ガボンから赤道ギニアを経由せずカメルーンに入国したそうですが、ガボンの地方の警察の賄賂要求はあからさまでかつ執拗だったと言っていました。支払わざるを得なかったようです。98年にガーナ(アクラ)で会った人は、ギニアに太鼓修行に行っていたのですが、自然災害(増水)にあって大変だったようで、賄賂の話はほとんどしなかったです。03年にチャド(ンジャメナ)であった女性は、ボンゴールなど郊外に行っているにもかかわらず、被害に直面していないようでした。チャドの腐敗振りもひどいのですが、女性には甘いのかも。
西部・中部アフリカであうヨーロッパ人は、フランス人が多いです。彼らはフランス語圏では言葉に困らないし、フランスの援助あっての国々が多いので、現地公務員に対して、強い態度で臨むことができます(多くの国でビザも免除されています。うらやましい。)。そのためか、賄賂対策で困っているという話は余り聞きません。
モーリタニア国境で、何も要求されていないのに自主的にパスポートに小銭をはさんで渡している外人を見ました。国籍不明の白人でした。なお、私は要求を断ったためしばらく待たされましたが、問題なくスタンプをもらうことができました。
なお、賄賂対策の方法(1)としてあげた、レシートを要求してあきらめさせる、というやり方は、私自身が南米でヨーロッパ人旅行者から教えてもらったものです。アフリカでもヨーロッパ人がつかう一般的な対策かもしれません。

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