2009年4月1日水曜日

2 初海外はアメリカ

初めての海外は大学1年生の夏、アメリカでした。縁あってアメリカ中西部のWisconsinウィスコンシン州の町でホームステイさせてもらうことになっていました。ひと夏の経験ではありましたが、受けたカルチャーショックは3年分くらいありました。

1) 言葉の壁 
今ではビザ免除プログラムのもと、ビザなし渡航できるアメリカですが、当時はまだ観光ビザが必要だったため、旅行代理店を通じて取得していきました。パスポートを使うのも、飛行機に乗るのも初めてで、外国人と英語で話した経験もほとんどなかったため、とても緊張していました。成田発シカゴ行きの飛行機は無事到着し、入国手続きも済ませました。当時オヘア空港は飛行機発着数が世界一と言われていて、ターミナルだけで5つもある大きな空港でしたが、国内線の乗り継ぎも何とかできました。でも順調に事が運んだのはここまででした。

定員20人くらいの小さなプロペラ機はずいぶん揺れながら30分くらいで到着しました。ところが到着地は最終目的地ではありませんでした。実は機体トラブルがあってシカゴまで出戻っていたのですが(道理で揺れたわけです)、私は英語アナウンスが聞き取れず何も分かっていませんでした。どうやら別の便に乗せてくれるということで振り替え便の搭乗券を渡され、私は同じゲートの椅子に座って2時間ばかり待っていましたが、出発予定時間になっても搭乗案内はありません。振り替え便は別ゲートからすでに出発していたのです。

空港職員に相談すると、いろいろ聞かれるのですが、何を言っているのかよく聞き取れず、また聞き取れても何と答えていいのか分からず口ごもるばかり。オフィスに連れて行かれ、「英語の分からない日本人だよ」と同僚に話しているのだけは聞き取れました。「君は日本人か。じゃあ、侍か。違う?じゃ、忍者か」 など冗談を言う陽気な職員に囲まれながら、私は一人絶望的な気持ちになっていました。まがりなりにも中学高校で6年間勉強して来たのに、全く英語が分からないというのはとういうことかと。この先ひと夏のホームステイを生き残れるのかと。

2)自分の意見は 
荷物を部屋に置いて、リビングに行くと、ホストマザーのDLが私に尋ねました。
DL: あなた、コーヒー飲む? Do you want some coffee?
km: はい。 Yes.
DL: ・・・それとも紅茶にする? Or do you want some tea?
km : ・・・はい。・・・Yes.

正直、私にとってはコーヒーでも紅茶でもどちらでもいいのです。適当に出してよ、という感じです。

けれど、DLは私の正面にやってきて、私の目を見据えながら問いただしました。

DL:・・・は?・・・あなた、コーヒーと紅茶、どちらが好きなの??私は、あなたの好みを聞いているのよ。 ・・・What? Which do YOU like, coffee or tea?? What is YOUR preference?

家に招待されて「何を飲むか」と聞かれたなら、「どうぞお構いなく」とか「何でも結構ですから」とか遠慮して、出てきたものがたとえ自分の好みに合わなくてもありがたくいただくのが日本の流儀です。今は違うかもしれませんが、自分の好みをはっきり出すことははしたないと忌み嫌われる風潮が私の子供のころにはありました。好き嫌いを言わず何でも食べる。嫌いなものがあっても全部食べるまで帰宅できない、「居残り給食」というお仕置きまであったのです。

でもアメリカでは違います。自分の意見を言っていい。そして自分自身の意見をはっきり言わなければいけない。日本では自分の意見を言わないことが謙遜として美徳とされますが、アメリカでは、自分の本心を隠して言わないことは、かえって不誠実であり、相手に不信感を与えることなのです。そして自分の意見を理由とともにいうことを子供のころから教育されており、自分の考えと理由をはっきりと言えない者は、大人と看做されないのです。

コーヒーの例に戻ると、コーヒー・紅茶、2つの選択肢があったなら、通常はどちらか一方が好きなはずです。相手の手間だとか、ほかの人が何を注文するとか、ごちゃごちゃ考えず、アメリカでは、自分の好みを端的に言えばいいのです。「どちらでもいい」は日本では謙虚と受け取られても、アメリカでは投げやりで失礼と受け取られます。コーヒーか、と聞かれて生半可な肯定をしつつ、紅茶をも肯定する、それもおかしな状態です。紅茶にするなら、コーヒーの注文をはっきり取り消さなければ混乱するし、英語を理解していないと思われてしまいます。両方飲みたいなら、はっきり「Both どっちもください」と言ってもアメリカではOKです。但し、その場合は「どっちも試してみたいから」など理由を言わないと舌足らずです。とにかく自分の意見をはっきりということが、アメリカでのコミュニケーションにおいて非常に重要だということが、ホームステイを通じてわかってきました。

些細なやり取りでしたが、自分の意見をはっきり言っていい、むしろ言うべき、ということは私の気持ちをとても楽にさせるものでした。

・ He do not know
地元の人が[He does not know]というべきところを[He do not know]と言っていた。びっくりである。自分の意見をはっきり言っていいこと、文法も気にしなくていいこと、この2つでコミュニケーションのハードルがだいぶ下がったと感じた。妙な自信がついた。

* ホスト家族
(前略)複雑な事情があるのに、よくまとまった家族だと、感心しました。
・年の離れた夫婦
・年の近い母子
・前夫が前妻の家にやってきて楽しそうに話している
・前夫が子供を旅行に連れ出す
・父と子供の血がつながっていない
・兄妹は異父兄弟
・関係不明な居候(一妻二夫?)

* 田舎の暮らし
アメリカの映画では必ず白人・黒人・ヒスパニック・アジア人等様々な人種が登場します。世界でも珍しい(ほぼ)単一民族の国から来た私にとって、人種の坩堝・文化の多様性ほど心動かされるものはありません。
私のホームステイ先は、Mukwonagoムクワナゴーという町にありました。なんだかとてもエキゾチックな名称です。それもそのはず。ネイティブアメリカン(Native American=アメリカインディアン)の土地だったこのあたりにはネイティブアメリカンの言葉による地名が多いのです。
けれど、ムクワナゴーにはネイティブアメリカンなど住んでいませんでした。開拓時代に抹殺されたか土地を奪われ追放されてしまったのでしょう。白人しか見かけませんでした。人種の坩堝・文化の多様性は、NY・LAなど大都市のみで見られること。中西部の一帯はこの町同様ほとんど白人だけの世界なのです。
(略)
・車社会
・TVチャンネルは100もあるのにコンビニもない
・トウモロコシ畑と地平線
・スタンドバイミーのような線路が続く
・5ドルディナー

* 日本を知らない大人たち
(略)私は、ホスト夫婦の店にいながら、やってくる客を観察していました。小さな町だから皆顔見知りのようで、買い物をしにきているのか、雑談に来ているのか分からない状態でした。
皆陽気で気のいい白人たちなのですが、困ったことに日本のことをまったく知らないのです。

「ああ、日本から来たの。俺の姪っ子がこの前香港に行ってきたんだよ。夜景が綺麗だったってさ」
だからどうなのでしょう。香港は日本の一部ではありません。

「日本にはサムライが何人くらいいるのだ?あの太っている人たち。」
サムライは日本にもういません。ひょっとしてスモウとごちゃ混ぜになっています?
空港で私に「お前はサムライか、忍者か」とか聞いてきたのは冗談かと思っていましたが、もしかして本気で聞いていたのかもしれません。

小さな子供の質問ならともかく、大の大人が日本のことをまるで知らないのにショックを受けました。

ある晩、ホスト家族とテレビで「キリングフィールド」という映画を見ていました。カンボジア内戦を取り扱った戦争映画です。
私の英語の聴解力はひどいものでしたが、あらすじを知っていたこともありなんとかストーリーをたどっていました。カンボジア兵がアメリカ人記者にクメール語で何か警告しているシーンで、ホストマザーのDLは私に尋ねました。
「このカンボジア人、何て言っているの?」
・・・彼女は私がクメール語を理解できると思っているのです。カンボジアは日本にとって遠い国、言葉も文化もまるで接点がない、と思っている私。けれど、彼女にとっては、同じアジアの日本とカンボジア、文化も言語も共通の要素がたくさんあるでしょ、となるのです。
km「日本とカンボジアは全然別の国だよ。クメール語なんて僕には分からないよ」
DL「あら、そうなの? 日本語もクメール語も全く同じに聞こえるわ」

世界を旅して回るうちに、ああ、自分はあのときのDLと同じだったんだ、と自分の偏狭な考え方・無知を知る機会が多々ありました。

例えば、アフリカに実際に行ってみるまで、ケニアもガーナもほとんど区別がついていませんでした。槍持ってジャンプしている人たち(ケニアのマサイ族)がガーナにもいると思っていたのです。実際は言葉も文化も歴史もほとんど共通にしていないのに、同じアフリカの国なんだからどっちも似たようなもの、というイメージしかなかったのです。

まるで、香港と日本を混同していた田舎町のグロッセリーの客達のように。

例えば、トルコからシリアに南下するとき、私が覚えたトルコ語もシリアでマイナーチェンジさせるだけで通じるだろうと思っていました。アラブもトルコもイランもごっちゃになっていたのです。どこも中東の国だから、とひとくくりにしてしまう。

まるで、日本語が中国語やクメール語とほとんど変わらないと思っていたDLのように。

日本を知らない大人たち同様に、私も日本以外の世界を知らなかったのです。

(続)

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