2009年4月12日日曜日

アフガン 映画 君のためなら千回でも

1978-2000のアフガンを舞台にしたベストセラー小説を映画化した2007年の作品。Khaled Hosseini作の小説の方はWiki英語版によると全世界で1000万部も売れている! ロシア兵やタリバン兵の非人道性を強調しすぎる等、アメリカ人観客が喜びそうな演出がやや気になりましたが、ストーリーが想像以上にドラマチックでとても楽しめました。レビューや、予告編を先に見ていなくて良かったです。個人的満足度は9/10。

(アマゾンの内容紹介より引用)
まだ平和だった1970年代アフガニスタン。少年時代のアミールとハッサンは兄弟のように育ち強い絆で結ばれていた。
だがある衝撃的な事件が起き、アミールはハッサンを裏切ってしまう。
時を同じくしてソ連軍がアフガン侵攻を決行、2人は歴史の流れに引き裂かれ再び会うこともなかった…。
20年の歳月が流れたが、アメリカで平穏に暮らすアミールの心には決して抜けない棘のように後悔の念が残っていた。アミールは意を決し、今やタリバン政権下となった戦禍の故郷へ危険な旅に出る。
過去の過ちを正すことに遅すぎるということはないのだから…。
(引用終わり)

以下、ネタバレ注意。

*ロケ地はどこ?
ロケがどこなのか気になっていました。
2006年の作品というと、アフガニスタンロケは難しい。西隣のイランでのロケ は、アメリカ映画だから無理。東隣のパキスタンも一部を除いて風土や気候が合わない。舞台のカブールを含むアフガン中・北部は、南アジア・西アジアという より、中央アジア的雰囲気なのです。ポプラ並木やふたこぶラクダが出てくる(アフガンで見るラクダはひとこぶ)のでひょっとして、と思ったらやはり中国の ウイグル自治区で撮っているようです。雪を頂いたヒンズクシ山脈が背後に見える道や、ヒッピーの西洋人といった、明らかに70年代のカブールと思われる シーンが出てきましたが、当時の映像を合成している部分もあるのではないでしょうか。中国ロケなんて信じられないほど、アフガニスタンの雰囲気が出ている 映画だと思いました。

* 主人公が悪役?
金持ちの息子アミールとその金持ちの使用人の息子がハッサン。友達というものの、対等な関係ではありません。凧揚げ大会で優勝するアミールですが、それは全てハッサンの適切な指示どおりに動いての結果。おいしいところだけすくいとって小賢しい感じがします。そのあと、アミールの戦利品として、最後に糸を切って落ちた凧を拾いに行ったハッサンは地元の悪がき3人にレイプされますが、アミールはそれを止める勇気がなく、見て見ぬふりします。さらにハッサンに熟したザクロをいくつも投げつけて投げ返してみろ、とどなります。召使の子供がご主人の息子に反抗できるわけはないのだから、地位を利用した苛めにしか写りません。観客の誰もが許せないと感じるのが、時計をハッサンが盗んだように見せかけるシーンでしょう(問題のシーン)。恥の文化があるアフガニスタン。ババが子供のころから世話になっていたAli(ハッサンの父)でしたが、屋敷で息子が盗みをした以上、住みかと職を提供してもらうことを潔しとせず、ハッサンを連れて屋敷を出て行くことになります。
主人公をこんな悪役に描いてしまって、この映画は一体どうするつもりだろう、と不思議に思いました。しかし、これこそが、作品の狙いだったことは、最後まで見てよく分かりました。

問題のシーン:
ババ:ハッサン、アミールの時計を盗んだのか
ハッサンは、アミールをちらっと見ながら、
ハッサン:はい、盗みました。
本当は盗みなんてしていないのに、卑屈なほど従順なハッサン。ところがもっと驚くのが間髪入れずに発された次の言葉
ババ:許そう。
アミールもはっとした表情を見せます。
相手が許しを乞う前に、咎めることなく相手を許す。これがアフガニスタンで美徳とされる男の振るまい(人間の徳)なのか、と私は感心しました。実はもっと別の意味があることは後から分かるのですが(→ハッサンの秘密)。

誠実で従順なハッサンに対してなぜアミールがつらく当たるのかが映画では不可解に感じましたが、Wiki英語版を見る限り、小説の方は、主人公の心の動きをもう少し丁寧に書いているようです。
つまり、幼馴染のハッサンが路地裏でレイプされているのを見ておきながら助けることなく逃げ出した自分への罪悪感と、何を言っても何をしても従順なハッサンへの苛立ちから、ハッサンを目にするのが辛くなったということのようです。それでも同情の余地はない気がしますが・・・。

*ハッサンの秘密
映画の終盤のいいところでうまい具合に出てきましたね。ハッサン誕生の秘密。
パキスタンで療養中の父の友人に呼ばれて、亡命先のアメリカからパキスタンに旅するアミール。そこでハッサンが死んだ事実とハッサン出生の秘密を知る。召使のアリはSterile(種なし)でハッサンの実の父親ではなかった。ハッサンの実の父はババ。つまり、ハッサンとアミールは異母兄弟なのだと。ハッサンの息子はハッサンがタリバンに殺されてからカブールの孤児院にいるという。名前は「ソーラブ」。アミールがハッサンに50回以上も読み聞かせてあげた小説「ロスタムとソーラブ」のソーラブである。アフガニスタンに行って、連れて帰ってきなさい、と進言する父の友人。タリバン支配下のアフガンに行くことをためらうアミールの背中を友人が押す。「There is a way to be good again.」「 いつでもやり直しはできるんだから」と。とても含蓄のある言葉です。償いを果たすべきハッサンはすでにこの世にいない。それを悔やみ、自責の念に苛まれるアミールはアフガン行きを決意します。せめてハッサンの息子を助けて罪を償うということでしょう。

*ロスタムとソーラブ
映画で何度か出てくる「ロスタムとソーラブ」。ハッサンが大好きな小説で、アミールに幾度となく読み聞かせてもらうのです。ロスタムがペルシャ文化圏のヒーローであることは知っていましたがソーラブは初耳です。映画鑑賞後に少し調べてみました。
アフガンを含むペルシャ文化圏では重要な古典文学である、フェルドゥーシ作「シャー・ナーメ(王の書)」。その一節に出てくるのが「ロスタムとソーラブ」の物語のようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%A0
ペルシャの敵国王子ソーラブはペルシャの英雄ロスタムの子供だが、ロスタムはソーラブが自分の子供という認識がないまま一戦を交えることになる。力ではロスタムに勝っていたソーバブだったが、実の親を殺すことができずためらい、ついにロスタムに殺されてしまう・・・。
ペルシャ文化圏のヒーローであるロスタムはときどきイラン人の名前などに使われていますが、敗者ソーラブを息子の名前に使うというのはあまりないかもしれません。それでもハッサンは、義理がたく思慮深く潔いソーラブの生き様に惹かれていたのでしょう。ソーラブをあえて息子の名前に選んだところにもそんな意味があったわけですね。タリバンに逆らい主人のために留守宅を守って処刑されてしまうハッサンの生き様もまさにソーラブのようでした。死んだハッサンの息子の名前が、ソーラブだと知って、アミールは自責の念に苛まれたでしょう。アミールに裏切られたハッサンが、アミールを恨むどころかアミールとの思い出であるその小説をいつも心に置いていてくれたのだと。映画鑑賞中は気付きませんでしたが、憎い細工だと思いました。

*映画のタイトル
「君のためなら千回でも」という邦題は、タイトルとしてどうなのだろうか、と鑑賞前には思いました。確かに、原題「The Kite Runner」の直訳「凧揚げする人」では間抜けだし、「カイトランナー」とカタカナにしてもピンときません。
ラストシーンまで見たとき、やっぱり「君のためなら千回でも」が一番ぴったりくるのかな、という気になりました。監督のインタビューの中で、原作の中で最も印象に残ったフレーズ2つのうちの一つが、それだと言っていました。
スイス人の監督のインタビューはとても良かったです。原作を読んで特に気に入ったのが以下の2つの言葉で、それを映画に出したかったと。成功していたと思います。
1)For you, a thousand of times over. 君のためなら千回でも
無条件の愛を表しているという。愛と日本語で書くと臭くなるので、「思いやり」の方がぴったりくると思います。
2)There is a way to be good again いつでもやり直しはできるんだから 
テーマはRedemption&Forgiveness 償いと許し
取り返しのつかないことをしてしまった、とか、罪を償うべき相手が亡くなってしまったということは人生において誰にでも起きうることでしょう。観客個人個人が贖罪というものについて考えたのではないでしょうか。


* 映画に出てきたアフガニスタンとその慣習
・アフガニスタンと凧揚げ
アフガニスタンにはタリバン政権崩壊後夏場に2度行きましたが、少年たちが凧あげをしていたかについては記憶がありません。あんまり見なかったような気がします。冬場に盛んな遊びなのでしょうか。
・結婚式などの場で、馬のいななきのような声を女性が発して祝う。アラブ・トルコのクルド地区・などでも見られました。
・プレゼントに夫が口をつけ、おでこにつけ、また口をつけ、おでこにつけ、感謝の意を示す。妻も同様に。
・結婚前は2人きりでのデートができない。女性の親類が付いてくる。これはトルコのクルド人地区を舞台にした「路みち」にも出てきたシーン。でも、アメリカでも出身国の伝統を守っているというのが面白い。移民一世、せいぜい2世だけだと思うが。結婚前の同棲などタブーで、家族全体が村八分(バージニアのアフガンコミュニティにいられなくなって西海岸に家族で引っ越し)
・ハザラ人差別
映画を見ているだけでは良く分からないのではないでしょうか。アミールとハッサンが別民族であることもよく分かりませんでした。(あとで英語版Wikiをみて初めて分かりました。)。異母兄弟というどんでん返しがあるので、露骨な違いを出しにくかったのでしょうね。
アフガニスタンでのハザラ人(モンゴル系)差別は伝統的なもので、映画の中でも触れられている、カブールのHazarajatハザラ人街を私が実際に訪ねた時も、山がちな斜面にそってゲットーのように存在していました。

* 映画で用いられたダリ語(古ペルシャ語)
映画の多くの場面でアフガニスタンの国語であるダリ語がつかわれていたのがうれしかったです。商業的には好ましくないらしく、ダリ語にしたおかげで製作費が集まらなかったとインタビューでいっていました。観客にとっても英語が望ましいのだが、リアルさを追求したのだと。一瞬、拍手をしそうになりましたが、ちょっと変です。だって、パシュトゥーン人だけのシーンでもパシュトー語ではなくダリ語がつかわれているのですから。それとも70年代の上流社会ではパシュトゥーン人同士でもダリ語を話すのが普通だったのでしょうか。現在のアフガン南部のパシュトゥーン人などはパシュトー語しか使わず、ダリ語をほとんど話せない人も多いのでちょっと奇異に感じました。


**** 質問****

ババが死ぬ間際に、枕もとの巨大なダイヤモンド状の物に口付けして眠りにつきますが、あれはいったい何でしょうか。アフガン人にとってとても大切な何かだと思うのですが。御存知の方ぜひ教えてください。

1 件のコメント:

  1. >枕もとの巨大なダイヤモンド状の物
    亡命の際に、銀色の容器に土を入れていました。
    トラックから乗り換えの時。
    祖国の思い出ってことではないでしょうか。

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