2009年3月7日土曜日

イラン映画「運動靴と赤い金魚」

1997モントリオール国際映画賞・アカデミー賞外国映画ノミネート。監督マジッドマジディやこの作品のことは「イラン映画を見に行こう」という本を読んで知っていたが、観賞したのは今回が初めて。私にとって、イラン人監督の映画を見るのは、「カンダハール」「キシュ島の物語」について3度目。これら2作ともおもしろかったが、本作品はイランで美徳とされる振る舞いやイランの市井の人々の暮らしというものがよく表れていてとても興味深かった。


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粗筋を書くと単純極まりない。妹の靴をなくしてしまった兄。家庭は貧しいので新しい靴を買ってくれと親に頼むことはできない。兄妹は一足の靴を二人で交互に使いながら学校に通う。そんな中、マラソン大会の3等の景品が運動靴であることを知り、兄が参加することに・・・。

全編を通じて、イラン的な「清貧な精神」を感じ取ることができる映画。日本や欧米とは全く違う世界なので、感情移入することはできないが、妙に感心してしまうシーンが多かった。たとえば、
・幼い子供たちが両親を助けてとにかくよく働く。(日本や西洋では親が勤めを果たしていないとかChild Laborとしてよく思われないところだが、イランではこれが常識であり美徳)
・靴の修理(日本ではぼろぼろになった靴は捨てるだけ。イランをはじめ世界の多くの国ではこのように修理して何度でも使う。)
・金魚も泳いでいる公共の水場の水をそのまま飲んだり食器や服を洗っている(日本の衛生感覚ではありえない)
・物資的な貧しさ(成績がよくてもらうのがボールペンだったり、地区大会のマラソンの商品が運動靴だったり、鉛筆一本で口止め工作したり・・)。
・学校校舎を午前中女子生徒・午後は男子生徒で使いまわしている(インフラに比して子供の数が多い上、男女が同席するのはイスラム教の教義上も好ましくないのだろう)
・モスクから預かった砂糖を砕くシーン(何でも工業製品として入手できる日本では、大きな砂糖片をトンカチで砕くようなシーンを見ることはない)
・モスクから預かった砂糖には一口たりとも自分で消費しない(清貧な精神を見ることができるが、監督の狙いはあまりに杓子行儀なお父さんを笑う点にあるかも)
・大家から滞納している家賃の催促され、にわか庭師になって高級住宅街を回り思いがけず収入を得る
(あきらめなければ何とかなる、神様はきっと助けてくれる、または金は天下の回りもの的な発想?)
・両親・先生はとても怖い存在
・絨毯の上で両親の前に兄妹並んで正坐しながら宿題をする(アジア的?)
・言い訳をこさえてはごまかそうとする(イラン人に多いですよね。良くも悪くも本当のことを潔く言って謝るのが日本式。)
・妹がある少女がはいている靴が自分がなくした靴だと確信して居ながらその場で異議を唱えず、少女の家をつきとめてから兄とともに後で訪問するところ(女性が交渉事に口を突っ込まないのがイランの作法?)
・突き止めた家のお父さんが盲目であることを知り、靴の回収を諦めて立ち去るところ(弱者に対する思いやりと施しの概念、イランの道徳でありイスラム教の教義)
・兄妹は知らないが、実はお父さんが彼らのために新しい靴を買って家に帰る途中(困ったことがあっても清貧に生きていればきっと神様が助けてくれるよ、というイラン的な発想?)
・高速道路を二人乗り自転車で走って行く。(日本じゃありえない。)
・高速道路沿いや町中に看板広告がほとんどない(資本主義色の薄いイラン。逆に新鮮。)

*現実のイラン
イランを3度旅した私から見ると私が知っているイランと映画に出てくる世界はずいぶん違う。イランは思ったより物資豊富で必要なものはほぼ手に入る。また、イラン人は、本音と建前の使い分けが非常にダイナミックな人たちなので、この映画に出てくるような清貧な精神がどの程度実行されているのか甚だ疑問。

*タイトル
「運動靴と赤い金魚」という邦題は正直そそられないタイトルだが、ペルシャ語・英語タイトルはインパクトがまるでないBachehaYeAseman/Children of Heaven・・・こんなタイトルでは商業的な成功が見込めないし、映画の内容とも全く一致していないように思うが、作成者の意図はどこにあったのだろう。ところでイランにはAseman航空というのがあったけど、天国っていう意味なんですね。

*役者
イラン映画では良くあることだが、素人ばかりを起用している。少年アリのお父さん役には、トルコなまりのあるペルシャ語を話す人をわざわざ抜擢したそうだ。もちろんペルシャ語のわからない私がこの映画を見てもその違いに気づくことはなかったが、日本でいえば東北出身のお父さんのような暖かさと不器用さがより一層引き出されるのかもしれない。

*結末
私が予想した結末は、アリが4着に終わり、泣いているところに誰かが靴をくれるというもの。実際には1着になってしまい、学校関係者は大喜び・本人は運動靴がもらえなくて泣き顔。最終的にはお父さんが靴を買ってきてくれるのだが、アリ本人はそれをまだ知らないまま映画は終わる。

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