2009年3月30日月曜日

1 きっかけは福江島

私が世界を旅したいと強く思うようになったきっかけは、はじめての一人旅で訪れた長崎県五島列島福江島のおばあちゃんとの出会いだったように思います。

長崎といえば鎖国時代にも海外に開かれていた国際色豊かな地。上海、香港、台湾、韓国は目と鼻の先です。高校生だった私は、長崎のエキゾチックなイメージにひかれて、JRの青春18切符を手にやってきました。オランダ坂、浦上天主堂、長崎ちゃんぽん・・・長崎は期待通り異国ムードあふれる町でした。

しかし、そこから船に乗って行った福江島は異国ムードとは無縁の素朴な離島でした。季節はずれの離島は観光客も少なく、宿泊したユースホステルは貸し切り状態でした。ホステルを出てしばらく歩くと、すれ違う人もいません。東京で生まれ常に人に囲まれて育った私にとって、散歩していてすれ違う人がいないことはそれだけで大事件でした。歩いているだけで、究極の自由を手にした気がしました。

究極の自由も長く続きすぎると不安に変わります。店もないし歩行者と会わないので道一つ聞けません。やっと出会えた人は、80歳くらいの小柄なおばあちゃんでした。東京では道で人とすれ違ってもそのまま通り過ぎるだけですが、おばあちゃんは、私に「どこから来たか」と声をかけてきました。「東京から来た」と答える私に、「遠くからよく来た」としきりに感心しています。聞けば、彼女は、生まれてこのかた一度も島を出たことがないといいます。海外や東京はもちろん、県庁のある長崎市にも行ったことがありません。太平洋戦争、長崎に原爆投下、朝鮮戦争、高度成長期、東京オリンピック、オイルショック、冷戦終結・・・激動の20世紀を、本土から隔離された福江島でどのように見つめ、そして感じていたのでしょうか。

おばあちゃんが、福江島を愛しているというのは想像できます。けれど、島を一歩出ればまったく別の世界があるのに、それを見たいと思わないのが不思議でなりませんでした。一度くらい島を出て、東京とか富士山とか道後温泉とか行ってみたいと何故思わないでしょうか。大阪のお好み焼きとか、名古屋の味噌田楽とか、秋田のきりたんぽとか、食べずに死んでしまってもいいのでしょうか。私にはおばあちゃんが不幸な籠の鳥に見えました。ずっと島から出ないで一生を送るなんて、生まれてきた意味がないと思いました。そんな退屈な人生は自分には耐えられないと思いました。

けれど、よくよく考えて見ると、日本列島を出たことのない自分と福江島を出たことのないおばあちゃんにはそれほど違いがないことに気づきました。世界標準の世界地図で見れば、日本列島全体が東の端っこのちっぽけな小島なのです。アメリカ人から見たら私もおばあちゃんも日本しか知らないという点で全く同じです。世界にはいろんな人が住んでいて、さまざまな文化があり、それぞれの暮らしがあるはず。それなのに、それを見ないで日本という島に閉じこもっているというのは、お好み焼きを食べることなく死んでしまうくらいもったいないことだと思いました。

福江島から長崎市に戻る船の中で、おばあちゃんとの出会いを反芻しながら、将来は絶対にいろんな国を見てくるぞと心に決めました。

* おばあちゃんはかわいそうな人?
今思えば、福江島のおばあちゃんは不幸な籠の鳥ではありませんでした。おばあちゃんは、家族と島に生活するだけで満ち足りていて、外に行きたいとも思わない人だったということです。言い換えれば、幸せを内に見つけられた人でした。人は仕事・家庭・子供・彼氏彼女など大切なものに出会ったとき、旅よりもそれを優先するし、旅なんか必要ですらなくなる。私がいつまでたっても旅をやめられないのは、旅よりも大切なものにめぐり合っていないというだけかもしれません。

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