2009年3月21日土曜日

タジキスタン オセチア人の運転手

・初めて出会ったオセチア人
初めて出会ったオセチア人は、タジキスタンの首都ドシャンベのタクシー運転手だった。

タクシー運転手はたいてい私の顔を見て国籍を尋ねてくるものなのだが、その体格の良い年配の運転手は無駄話一切なしだった。

興味を持ったのは私の方だ。彼の顔つきは、中央アジアのものではなく、ヨーロッパ系の白人だ。しかし目のあたりの険しさから見てロシア人ではなさそうだ。白い立派な口髭はトランプのキングのようにカールして上を向いている。恐る恐る私の方から聞いてみると彼は言った。

「俺はオセットだ。」コーカサスのオセチア人である。

オセチア人が決して豊かとはいえないタジキスタンに働きに来るようなことがあるのだろうか。私の聞き間違えではないのか。

確認のため尋ねてみた。
(km)「オセチア、ウラジカフカス(北オセチアの首都)?」

すると、それまで無表情に前を見て運転していた運転手が、右助手席に座っている私の方を向いて元気よく頷いた。
(ドライバー)「ダー、ダー(そうだ)!!」
私が故郷のことを少しでも知っていたことがうれしかったのだろう。

ソ連崩壊後のオセチアは、南はグルジア領・北はロシア領に二分されている。ウラジカフカスかという問いに頷いたことが、実際に彼が北オセチア出身ということまで意味するのか、それとも南オセチア出身だがオセチアは一つだという信念に基づくのかは分からなかったけれど、詳細をロシア語で聞くことはできなかった。

当時私がオセチアに関して知っていたことはオセチア人が騎馬民族スキタイ人の末裔であること。「オセチア人は、スキタイだよね。(オセット、スキタイ、ダー?)」と尋ねてみたが、反応はいまいちだった。

理由はいくつか考えられる。
1)ロシア語では「スキタイ」とは言わず別の呼称になる
2)旧ソ連圏の教育では、少数民族の民族意識を活性化させるようなことはタブーで、オセチア人がスキタイ人の末裔なんて教えられてこなかった
3)スキタイが「キタイ(中国)」に聞こえて、「こいつ、オセチアと中国を混乱しているな」と思われてしまった。

宗教を聞いてみると、タジク人のようなムスリムではなくキリスト教徒だという。遠いコーカサスのオセチアと中央アジアのタジクを何が結びつけているのだろう。疑問を持ったまま旅をつづけた。

帰国後調べてみると、オセチア人はタジク人同様ペルシャ語系の言語を話すことが分かった。オセチア人とタジク人とは、ロシア語を介さなくても意思の疎通がとれるのであろう。距離にすればかなりの開きがあるタジキスタンとオセチアだが、両者の民族的心理的つながりは意外と太く、タジキスタンにあるオセチア人のコミュニティは結構大きかったりするのかもしれない。

2008年はオセチアを巡るニュースが頻繁に流れたが、それを見る度にあのトランプ髭のドライバーを思い出した。 
(タジキスタン 2003年訪問)

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