2009年3月17日火曜日

シリア ドルーズの村

*ドルーズの村訪問の想い出

私が初めてシリアを訪問した92年夏のことです。

数日前ダマスカスで招待してくれた家の食事に当たり2日間寝込んだ私は、病み上がり状態でボスラ行きのバスに乗りました。私をボスラ行きのバスまで案内してくれた親切な青年が、片言の英語で切符を買って来てくれると言うので金を渡しました。

しかし、青年が切符を持って戻ってくる前に、バスはエンジンをかけて出発しようとします。私は、切符を買ってきてもらっている途中なんだと運転手にアピールしましたが、理解してもらえず。病み上がりでしんどかったこともあり、金と切符はあきらめて出発しました。

出発してしばらくすると、バスの車掌らしき男が運賃の回収に来ました。この時までにうすうす感づいていましたが、バスはチケット事前購入式ではなく、車内清算式でした。つまり、私は、「親切な青年」に金を騙し取られたのです。渡していたのが当時のシリアポンドで一番大きい単位の札だったこと、それに、シリアではいい人ばかりに出会って来たこともあり、だまされたことがとてもショックでした。

(シリアのバスでは運転手も車掌も私服なので)青年がバスの関係者だと勘違いして運賃を支払ったことを一応言ってみました。そんなことは車掌にしてみれば知ったことはないはずですが。

次第に乗客が寄ってきて私の言わんとすることをああだこうだと議論し始めます。乗客の中には私と青年のやりとりを見ていた者がいたこともあり、私に何が起きたかを何とか理解したようです。乗客の中で、私の代わりに私の運賃を払ってくれた青年がAでした。

Aは20歳前後といったところでしょうか。はやしている口ひげはシリア人にしては薄く、控えめな印象の青年でした。絶対に外国人をだますようなことはしない田舎の人、という安心オーラが全身から発散されていました。

バスがAの村に近づきました。Aが私に自分の村に寄って行けといっているのが何となく分かりました。その辺りがボスラまでどれくらいの距離なのかも分からず、英語も通じないであろう辺境の村に立ち入る不安はありましたが、安心オーラに引かれてAについてバスを降りました。チケット詐欺で印象を悪くしたままシリアを出たくない。どこかで印象をリセットしたいという気持ちが自分の中にあったのでしょう。

バスを降りてAと私はしばらく歩きました。バス道を外れると、その地帯が丘陵地であることが分かりました。見た目には素朴で綺麗ですが、畑に適した平らな土地でないということはその村が相対的に貧しいのだろうという印象を抱きました。

どれくらい歩くのか分からず不安でしたが、英語で尋ねても理解してもらえないだろうと思い、黙ってついていきました。黒っぽい石が石垣のように積まれた不思議な小道を上ってAの家にたどり着いたときはバスどおりから30分くらいたっていました。

家にはAの兄弟なのか親戚なのか良く分からない青年が2人いて、私を迎えてくれました。家の奥からゆったりした民族服を着たお父さんらしき人物が出てきて私を歓迎してくれました。女性は出てきません。イスラムの教義のせいか、保守的な土地だからか、女性は男性の団欒の場に参加しないのでしょう。

A達は、私に水やナッツを出してくれ、シャワーを浴びなさい、とか、昼寝をするか、などいろいろ気を遣ってくれるのですが、沈黙が漂うばかりで落ち着きませんでした。

そんなとき、女性が一人家に入ってきました。英語で私に挨拶しながら。スカーフなどは被っていない現代風の装いで、20代後半と思われる綺麗な女性でした。保守的な地域で女性の方から私に近づいてきたこと、しかも英語で話しかけてきたことに少し驚いた私に、彼女は説明してくれました。彼女は村の学校で英語教師をしていること。外国人ゲストである私が村に来たから助けてやれと村人に言われたこと。

私は、何だか村全体から監視されているような気味悪さを感じはしましたが、彼女のおかげでAをはじめ青年達とのコミュニケーションも取れるようになりました。

そこで私ははじめて知ったのです。彼らがドルーズであることを。ドルーズとはアラブ人でイスラム教の一派ですが、特殊な信仰ゆえに異端扱いされています。当時の私はアラウィ派とドルーズ派を混同していて良くわかっていなかったのですが・・・(今でもどちらも異端だということ以外よく分かりません。)ドルーズが秘密主義で排他的ということは聞いていたので、そんな人たちの村に入ることができてとても幸運だと思いました。

私はドルーズの教義についていくつか尋ねましたが、よく分かりませんでした。おそらくドルーズの教義が門外不出なので適当にごまかされたのだと思います。

それでも一つだけ強烈に覚えているやり取りがあります。

km「ドルーズは異教徒と結婚できないというのは本当なの?」
女性「それは本当よ。相手がイスラム教徒でもキリスト教徒でも認められないの。」
km「もしドルーズの人が異教徒と結婚したらどうなるの?」
そんなことは考えたこともない、というように、彼女はAや周りの青年達と何か言い交わしました。
女性「結婚した人は・・・殺されても文句を言えないの」
私は女性と談笑しているのを村人に誤解されて処罰を受けないか急に不安になりました。

(中略)
食事を出してもらった後、青年達はトラクター!!でボスラまで送ってくれました。今後シリアのあの辺りを再訪することがあっても、あの村にはもうたどり着けないだろうなと思うと無性に懐かしくなります。

* 「シリアの花嫁」に出てきたドルーズの長老のような服を着た人は、このドルーズの村では見かけませんでした。ドルーズと名乗られなければ、私の目には全く普通のアラブ人としか写らなかったでしょう。ドルーズの村であることを意味する五色の旗はあったかもしれませんが、訪問時はそのような知識がなかったので注意して見ませんでした。モスクがなかったことも気がつきませんでした。


* 言葉に困ったら学校を探せ 
上記出来事の後、私は英語が通じない土地で、どうしても英語で話さなければいけない込み入ったトラブルを抱えているときは、学校を探すことにしました。高校であれば世界のどこであっても英語の先生は一人くらいいるし、中学校以下であっても学校の先生になるような人は勉強熱心な人が多いので英語を少しは話せることが多いからです。

* ドルーズ 参考サイト
http://en.wikipedia.org/wiki/Druze
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E6%B4%BE
ドルーズ Druze

珍しい! ドルーズの集会所の写真
http://sekitori.web.infoseek.co.jp/Houses/ie_Syria_dzur.html
同服装
http://gotenyama2.web.infoseek.co.jp/Hito/hito_Syria_doz.html

http://en.wikipedia.org/wiki/Alawi
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E6%B4%BE
アラウィ Alawi

http://palestine-heiwa.org/note2/200411271957.htm
ドルーズの兵役拒否

http://palestine-heiwa.org/note2/200501121424.htm
映画「凧」

http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2515826/3320670
レバノンでも親シリア派・反シリア派に分かれているようだ。

http://homepage2.nifty.com/hashim/israel/israel007.htm
カルメル山の麓 ・・・ ドルーズ人の街:ダリヤット・エル・カルメル

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